嘉応の強訴について
「南都北嶺」と並び称された南都興福寺と比叡山延暦寺は強訴の常連で、傘下の春日・日吉神人は春日の神木・日吉の神輿を奉じて入京し、朝廷に国司の解任・配流を迫った。
これに対して朝廷も、僧位・僧官の昇進権を媒介に上級僧侶を組織して、宗教界への支配を強化しようとした。保元元年(1156年)閏9月の「保元新制」はその集大成で、寺社の濫行禁止と荘園の規制を謳い、寺社勢力を国家体制に従属させようとするものだった。しかし、これらの寺社統制策は教団内部の反発を買い、寺社では内紛が頻発する。さらに院による恣意的な僧綱補任により、寺院相互の競合・確執も深刻化していた。